つづき

今まで気づかなかった、と言いつつ、本当に今までも似たようなこと書いてたらどうしよう
まいいか。

しかし、「少女」でなくなった女はどこにアイデンティティを見出せばいいのだろうか?

実感として、少女のときより今がずっと、一人で立てているという気がする。
そして今の自分が結構好きである。

「女」って響きはどこか、「男」に比べて主体性を欠く印象がある。
「大人の女」であっても。(主観です)

世間の用意したアイデンティティの枠に自分を当てはめるのは結構難しい。
性的客体になる事が多いのも、やっぱりアイデンティティの枠を狭めている気がする。

だから自分で少しずつ強固に、何度も検討して、自分だけのアイデンティティを構築していくしかないと思う。


今はアイデンティティ模索中だから、不安はある。
けどそれは安住の地だった「少女」でなくなったことへの懐古や老いへの恐怖とか
そういうのでは一切なくて。

誰も用意してくれていない道を、どう自分の判断で切り開いて進んでいくか?という
きわめて主体的だからこそ生まれてくる不安で。
今も彼氏への依存っていうのはあるんだけど
それでも、ずっと昔より自分が確立している。


そこで、2個前の記事に書いた「嫌いな女」の話になる。

その女性は2つ年下なのかな。

劇団員で、舞台上でパンツ見せるわ手首切るわで、私から見ればオナニー同然な
芝居を自宅でやってのけた人。ある意味すごい、すごい人だわ。

彼女は「少女」なのだと思う。自覚的であるかどうかはわからないけど。

今日友人と話していたとき、友人が、「エログロ等を愛好する人は、多少はそこに性的興奮に繋がるような
恍惚を味わっている」と言った。
かなりざっくりとした意見だけど、確かにそれには頷けた。
自分も好きだった頃はそうだったように思う。

その嫌いな女性は自分の写真集なんかも発売していて
性的客体になることを厭わない、でいるのではないかと思う。

あー今考えながら文章書いてるけど。

明確にしないことに腹が立つのかも。メタ認知、してない感じが。
でも、誰しも自分を常に客観視してなくちゃいけないわけじゃないから
彼女は彼女のままでいいの、多分。

なのになぜこんなに彼女が気になって、夢に見たり、想像が止まらなくなってしまうのだろう?

メタ認知、客観視してないことがズルイ。

あそっか。自分を見て欲しい、自分の体を性的に見てもかまわない、
美しさや若さを売ることを、ずるいと思っているんだ。

でも、性産業の従事者をずるいともなんとも思わない。
それはペイが明確だからか。

目的があいまい(に見える)のに、そういうことをしているのが
ズルイと感じている。

嫉妬かと思っていたけど、これは嫉妬なんだろうか?

美しさ、って、若さを失うと共にある程度失われる。
性的客体になりたくても、それを望んでくれる相手もじきに少なくなる。
若さって、一時的なもの。

たとえば彼女が明確に「若さはいずれ失われるものだから、今のこの自分を記録しておきたい、
そういう目的で活動をしている」とか公表しているなら
私こんな風に思わないのかもしれない。
彼女の行動を「若さにおごってる」ゆえと捉えていて
けしからん、と思っているのか。。

私は、若さがいずれ失われる、と常に考え
その取り扱いに悩んでいる。

だから、こんな風に思うのかな・・・

いや、完全にスッキリした感はない。あーすごく、だらだらと書いてしまった。心の旅を
ブログでやってしもうた。