何番目かの青春

京都の自宅を出る日が近づいてきた。
何度かその寂しさについて書いたかもしれないけど、書ききれないし強く思うことなので何度も書く。

昨晩は最後のパーティーだった。
シェアハウスのリビングで、前に住んでいた人も新しい人も集まって、とても盛り上がった。
昨日も、パーティーに参加する前はとても気持ちが高揚して、急いで用事を終わらせた。
それは、いつものこと。

ワクワク、ドキドキしながら席に着いて、みんなが持ち寄ったたくさんのお酒の蓋を開ける。
これまでのパーティでは、誰かが作った料理が並ぶこともあれば、コンビニで買ってきたイカや柿の種を気軽につまむこともあった。

乾杯をしないこともある。ダラダラ集まって適当に飲み始めて、「人がいる」と思って寄ってきた人が加わってゆく。
いつも約束の時間には人が揃わなくて、かわりに終わるのが深夜まで長引いたりした。

あんな高揚感は、よほど充実したコミュニティでなければ味わえない。
思えば、似た感覚を大学生の頃に頻繁に体験していた。
サークルの部室でのことだ。

マニアックな話で盛り上がれる仲間や、恋人や、恋をしている相手がいて、
いつもドキドキしながら部室の扉を開けた。
くだらない話を何時間も続けて、そのまま食事に出かけたり、カラオケで一晩中歌ったりして。

あの頃の高揚感と本当に似ていると思う。
自分がその場の一員であるという認識があって、強い連帯感・一体感があって。
刺激的で、そのコミュニティと恋をしているのと変わらない。

シェアハウスでは、別にみんながみんな趣味が合うわけではなかった。
だけど、「わかりあおう」とする人が多くて、リビングではいつも様々な人生の話が飛び交っていた。

こんな経験に、人生であと何度出会うことができるかな?
次のシェアハウスもこんなに刺激的だといいんだけど。また違った良さがあるかな?どんな風かな。
その不安もあいまって、今日は涙が止まらない。

昨日のパーティーで外国から来た人も言ってたけど、本当にcrazy peppleが集ってたなぁ。
家賃の安さと、初期費用がかからないこと、審査もないこと、清掃スタッフの制度がその一要素だったんだと思う。

ビックリするような珍事件が何度も起きて度肝を抜かれたし、人の心の触れ幅の広さというのを、身をもって思い知った。
忘れがたいよ。最初、いきなりストーカー疑惑の人やマルチの人に出会ってしまってすごくしんどかったりしたなぁ。

彼に別れようって言われてこのシェアハウスに転がり込んで、モラトリアム延長をひたすら試みて、片思いもして、いまの社長に出会って仕事をもらって、ずっと連絡を取り合う友達ができて、そして本当に彼と別れて、仕事の都合で出て行くことになった。

私の生活、激動してる。他の人から見たら大したことないかもしれないけど、私にはハードで刺激的だ。



ちょっと違うこと書きたくなったので違う記事にしよう。

しかしここでの生活は私の何番目かの青春だった。

二度と忘れないし、仲間とはずっと共有したいし、飲み会では今後も鉄板ネタでありつづけると思う。

残りの4日間、悔いのないように精一杯楽しもう。