シェアハウスの気持ち悪さ

シェアハウスって、多分住んだことない人から見たら「得体の知れない」「ある意味宗教っぽい」「ポエム的要素がある」正常と異常の間的な世界なんだと思う。

それは多分、「一人で生活することに耐えられないから皆で生きようとしている」ことへの
ちょっとヘイト入った思いなんじゃないかな。私もそう思ってたし。

私はずっと自分のメンタルの弱さというか、他者への依存的な部分に悩まされてきて、
シェアハウスに住んだとき、そこが「許される」ことに驚いた。

しかも住んでみれば意外と、その寂しさで住人に迷惑をかけることはなかった。
それで、「あぁユートピアだなここは」と実感したのだった。

つい最近もツイッターで↑のような言説を見た。
「シェアハウスに暮らしがたる若者は、多くの人と居住することで責任逃れをしようとしている」的な。
(あと友達に「30、40代になってシェアハウスに暮らしてる人ってなんか人格疑う」って言われたことある)

これには反発心が湧いてくるが、完全に筋道の通った答えは出ない。
でも、「人は完全に自立すべき」「そうでないほうを選ぼうとしている人間は甘い」って思っていた頃は
私も↑のようにシェアハウスで生活する人たちを「逃げ」ようとしている、という風に捉えていたよ。

それにしても一体何の責任なんだろう?シェアで暮らす人は多くが働いているし、税金も払ってひとまずの義務を果たしているよ。それ以上の責任って何なんだろう?あとは好き好きなんじゃないだろうか。
料理も各自でするし、場所によっては掃除もやるし、別に寂しいからって会いたい時に必ず人と話せるわけじゃないんだけど・・・
それに、シェアハウス以外でも他者に依存的だったり「社会的責任を果たしてない」人はけっこうたくさんいる。
例えば私の友人夫婦はそれぞれ友人も普段会える距離におらず、二人っきりで「片方がいなくなったら死んじゃう」って思いながら支えあって生きてるし、事情があって仕事ができない人は社会保障に支えられて生きてたりするし。シェアハウスは経済に貢献しながら、セーフティネットの一面も持ち合わせているということでいいんじゃないかな。(家賃払えば食材フリーなところもあるし。)

昔の自分を振り返れば、根底にあったのはヘイトだったと思う。
↑の言説の人が同じだとは言えないんだけど、確かに「シェアハウス」に対してそういうイメージってできがちなんじゃないかと思ったからあえて書いている。

シェアハウスに暮らすという心境や感覚まで追体験することはできないから、きっと冒頭に書いたようにまるで宗教施設に入所してしまったかのような不気味さ?とっつきにくさ?を感じるんじゃないかな。

多くの人と暮らすのはストレスがつきもので、「それに耐えてまでコミュニケーションを求める」ってとこに、「寂しさに突き動かされて依存的」=「自立していない」=「シバかれて当然」ってなる人もいるんじゃないかな~
アナログなコミュニティの中でも一番生活に密着した「暮らす」というスタイルって、最も根源的な感じ?そして逆に近年では逆に減ってそうだ。。

自分がそうだったからスラスラ思いつくだけなんだけどww
シェアハウスに対するそこまで批判的な意見ってあまり目にしないしね。
ただツイッターでちらっと目にしたのが気になったから書いてみただけ。
もしヘイトならほんとに「一種のセーフティネット」というところに落ち着けたらどうかな~

シェアハウスに好感を持ってなければ私の感動や思いいれなんて意味わかんないだろうし
しつこくて「なぜそこまで?」「わかるけど自分には絶対ムリ。」って思いから
さほど共感してもらえなさそうだな、、どうだろう、、
本当に楽しいんだけどな~、シェアハウス。

人が好きな人とか生き様フェチな人にはオススメしたい。