ユートピアかと思ってた

大阪にいたとき、色んな人に「東京行ったらゴールデン街とか合うてると思うで」と言われていて、この間やっと場所を知ることができたので今日行ってみた。

ある、趣味関係のバーに入ったらマスターはとても気の利く方だったんだけど、お客さんが微妙で、とても悲しい気持ちになって帰った。

私は初対面でも、「それって変じゃない?」と思ったら直球で言いたいことを言ってしまうふしがある。

居合わせた人がやたらと下ネタを言っていて、下ネタ自体は私も大好物なんだけど「言いたいだけちゃうんか」系のやーつで、なんかちょっとな~と思っていた。

そしたら、おそらく「クリエイティブな俺」的な話をふっかけてきて、なんのオチもない話だったのだが、クソすぎてちょっと挑発的なことを言ってしまった。

そしたら怒って帰っちゃった…

私は人格至上主義なところがあって、ものごとを客観視するとか、話すことと聞くことのバランスとか、そういう部分に注力している人を好きだなと思う。

逆にいえばあまりに「俺が俺が」って話す人がすごく苦手で、そういうときに、「私が」不快だと感じているのに、「場にとって迷惑だろう」という大義名分をかざして鉄槌を食らわすのだ。

そこが私の問題なんだろうなあ。

「私が」不快であることを認めて、空気のせいにしないで、うまくスルーできたらいい。

1人1人に妙に興味があって、なんでこいつこうなんだ?とか、もう「人」という存在に興味がありすぎてつい初対面で色んなことを聞いてしまう。

多分そこも、異常なんだと思う。

私は最初からフルオープンで、何でも聞いてもらっていいという自分の理屈を他人に押し付けてるだけなのだ。

これは本当に、人とうまくやる上での課題。

自分にとってクソな奴って一定数いるんだよね。どうやったって、当たってしまう。
自分のことを自分で補えないから、こういう目にあってるんだろうね。

結局私だって他人に認めてほしいだけの人間なんだよ。

でも、クソがいる場で「私が私が」っていうのは恥(いじめっこと同じことをする理論みたいな)だと思って、自己主張もできない。


世の中には自分と合う人間も一定数いるんだけど、圧倒的に合わない人が多い。

当たり前なのかなぁ。
人と人っていうのは、「人と人である」共通項だけで繋がれると勝手に思ってた。人類皆兄弟みたいな。

そう思ってるのは私を含めごく少数なのかな?

みんな他人に興味ないし、あまりに質問されたら気持ち悪いと思うのかな。
私は自分に興味を持ってもらえたら嬉しいけどな…

仕事なにしてるんですか、とか、初対面で聞いたら嫌な人もいるよってマスターに言われた。

自分で言うのもなんだけど、無垢?というか。仕事をなにしてるか、もしくは仕事をしてない、ということは、多くの場合私にとって善悪の判断にはならないんだよね。

漫画家だからエライとか、どうとかも思わない。今日の人が言ってたけど神保町で働いてるとか出版で編集でとかもどうでもいい。その人の一部を知れてよかったなって思うだけで。

でもその人にとっては不気味かもね。
自分の職業を言うことがどうジャッジされるかって思うのかも。

肩書きも属性も本当にどうでもよくて、私にとっては人間性しかないんだよね。

でも、そこに偏り過ぎるというのがやっぱり私の課題なんだわ。