遠野なぎこと友達になれる。
遠野なぎこさんが他人とは思えない。
男はみんな、自分とは全然違う。
元彼にはもう新しい彼女がいるし、今好きな人は恋愛に思い入れがない。
すれ違ってばかりで、ぴったりと寄り添いたいのに私はいつも激しすぎて、いつのまにか一人ぼっちになっている。
心からの承認を渇望しても、彼らが欲しがるのは身体だったり、向き合ってくれるのははじめのうちだけだったり、私の欲しいものは男からは手に入らない。
何度も泣いてきた。
男と女は全然違っていて、本当の本当の本当のところではわかりあうことなんかできない。
みんなそれを知りながら、じょうずな人はそこに触れないように、恋愛幻想をうまく壊さないようにやっていくことができる。
いくつか選択肢はあるのかもと思うけど、私はもう、やっぱり特定の男性と付き合ったりするのはやめた方がいいかなと思った。
投げやりになってるわけじゃない。病気だと再確認させられたからそう思う。
倫理的に批判されたとしても、私は3人くらい相手がいなきゃ破滅させてしまうし、でもそうなったら罪悪感で自分が破滅すると思う。
ドラッグを抜くように、毎日毎日、男のことを考えずに「今日一日」をやるしかない。
でもセックスは好きだし、男と愛してるだの好きだの言い合う幸福感を知ってる。
恋すればみんな同じと言う人もいるけど、やっぱり多分違う。私くらい苦しかったら自殺者がもっと出ているんじゃないか。
仕事も友達作りもうまくできるのに、こと恋愛に関しては破滅的になる。病が出てしまう。
男のことを考えて心がチリチリするのも、食事が喉を通らなくなるのも、もう馬鹿馬鹿しくなった。
本谷有希子の小説にあった「津奈木、いいなぁ。私と別れられていいなぁ。」って言葉、何年たっても忘れない。
男は私と別れればいいけど、私は私と別れられない。もう、自分自身でいることにほとほと疲れた。
友達は、面白い生活してるよねwって笑ってくれて救われるけど、その裏には心がグッチャグチャになって死にたくなってる瞬間の積み重ねがある。
もう疲れた、穏やかに生きられない自分に。穏やかになればすぐに刺激を求める自分に。
不調に不調が重なって、めちゃくちゃだ。
実家とのプチ絶縁、住環境の悪さ、好きな人とセフレでしかいられないこと。
ひたすら涙出てくる。
孤独で、孤独でしょうがない。
朝まで飲みまくって踊りまくって吐いて寝て、起きて死にたくなって。
幸せになりたい。それはもう男とかじゃ、ない。
本当は、温かい家庭を渇望してるんだと思う。それがずっとずっと欲しかったんだと思う。
父でも母でもなくていいから、好意を持ちあえる人と近い距離で生きたい。
シェアハウスのあったかさが初めての経験だった。家族みたいで。家族じゃないのに、こんなに幸せに暮らせるんだって衝撃だった。
顔でも身体でもなくて、私そのものを尊重してほしい。熱烈じゃなくていい、嫌いなところがあってもいい、それでも、穏やかに一緒に誰かと暮らしたい。
この病のルーツが崩壊してた家庭にあったとしたら、シェア的な生き方は唯一のセーフティネットであり、光だ。
過去も恨めないし、放り出された愛着障害の人間がサバイバルしていくために。
もう本当にいい加減に幸せになりたいんだ。シェアの距離感なら迷惑かけないから。だれか一緒に住みませんか。。と思ってる。。。
男はみんな、自分とは全然違う。
元彼にはもう新しい彼女がいるし、今好きな人は恋愛に思い入れがない。
すれ違ってばかりで、ぴったりと寄り添いたいのに私はいつも激しすぎて、いつのまにか一人ぼっちになっている。
心からの承認を渇望しても、彼らが欲しがるのは身体だったり、向き合ってくれるのははじめのうちだけだったり、私の欲しいものは男からは手に入らない。
何度も泣いてきた。
男と女は全然違っていて、本当の本当の本当のところではわかりあうことなんかできない。
みんなそれを知りながら、じょうずな人はそこに触れないように、恋愛幻想をうまく壊さないようにやっていくことができる。
いくつか選択肢はあるのかもと思うけど、私はもう、やっぱり特定の男性と付き合ったりするのはやめた方がいいかなと思った。
投げやりになってるわけじゃない。病気だと再確認させられたからそう思う。
倫理的に批判されたとしても、私は3人くらい相手がいなきゃ破滅させてしまうし、でもそうなったら罪悪感で自分が破滅すると思う。
ドラッグを抜くように、毎日毎日、男のことを考えずに「今日一日」をやるしかない。
でもセックスは好きだし、男と愛してるだの好きだの言い合う幸福感を知ってる。
恋すればみんな同じと言う人もいるけど、やっぱり多分違う。私くらい苦しかったら自殺者がもっと出ているんじゃないか。
仕事も友達作りもうまくできるのに、こと恋愛に関しては破滅的になる。病が出てしまう。
男のことを考えて心がチリチリするのも、食事が喉を通らなくなるのも、もう馬鹿馬鹿しくなった。
本谷有希子の小説にあった「津奈木、いいなぁ。私と別れられていいなぁ。」って言葉、何年たっても忘れない。
男は私と別れればいいけど、私は私と別れられない。もう、自分自身でいることにほとほと疲れた。
友達は、面白い生活してるよねwって笑ってくれて救われるけど、その裏には心がグッチャグチャになって死にたくなってる瞬間の積み重ねがある。
もう疲れた、穏やかに生きられない自分に。穏やかになればすぐに刺激を求める自分に。
不調に不調が重なって、めちゃくちゃだ。
実家とのプチ絶縁、住環境の悪さ、好きな人とセフレでしかいられないこと。
ひたすら涙出てくる。
孤独で、孤独でしょうがない。
朝まで飲みまくって踊りまくって吐いて寝て、起きて死にたくなって。
幸せになりたい。それはもう男とかじゃ、ない。
本当は、温かい家庭を渇望してるんだと思う。それがずっとずっと欲しかったんだと思う。
父でも母でもなくていいから、好意を持ちあえる人と近い距離で生きたい。
シェアハウスのあったかさが初めての経験だった。家族みたいで。家族じゃないのに、こんなに幸せに暮らせるんだって衝撃だった。
顔でも身体でもなくて、私そのものを尊重してほしい。熱烈じゃなくていい、嫌いなところがあってもいい、それでも、穏やかに一緒に誰かと暮らしたい。
この病のルーツが崩壊してた家庭にあったとしたら、シェア的な生き方は唯一のセーフティネットであり、光だ。
過去も恨めないし、放り出された愛着障害の人間がサバイバルしていくために。
もう本当にいい加減に幸せになりたいんだ。シェアの距離感なら迷惑かけないから。だれか一緒に住みませんか。。と思ってる。。。