山梨でのカウンセリング

昨日は山梨で初めてのカウンセリングへ行った。
感想としては「ああ、これこそが自分の知っている、自分の求めるカウンセリングだ」という感じ。
落ち着いていて、家みたいで、ほっとできる。
カウンセラーの人柄も穏やかで、距離感や会話のバランスがちょうどいい。

たまに、カウンセラー自身にクセがありすぎるというか、私が敏感なだけかもしれないがそちら側の方に何か問題があるのでは…というような人もいたりする。
結局のところ私がしっくりくるのは穏やかで思慮深くてこちらの言うことを尊重しつつアドバイス的なことも言ってくれるような人で、それがカウンセラーのスタンダードのような気がしていたけど意外となかなかいない、そういう人…

まさにそんな方だったのでほっとした。

昨日印象的だったのは、「あなたは結婚して、移住もしたから今の目線が見えているんです」という言葉だ。たしかに、結婚をする前は結婚をしなくてはならない、結婚したい、と強く思っていた。
だから結婚せずにはいられなかったし、例えば事実婚にしようとか、恋人のままでいようとか、そんな選択肢は自分にはありえなかった。結婚というものが絶対だなんて、全く信じていなかったのに、結婚せずにいられなかった。
そして、実際に結婚してみて、本当によかったんだろうかと悩むようになった。

「女性の方が名字を変えたり旦那さんの仕事で住む場所を変えたりすることが多いから、女性の方が結婚後に自分の生き方を見つめ直すということが多くなるのかもしれない」とも言われた。

それで、あぁ、自分はやっぱり名字を変えたくなかったんだなと思った。
別に元々の名字が好きだったわけでは全然ない。彼の名字の方が好き嫌いでいえば魅力的に感じる。
でもそういうことじゃないんだ。気に入っていなかった名前だとしても、結婚をすることで無理矢理に手放さなければいけないってことが嫌だった。

入籍の前日にぐるぐると夫婦別姓のことについて考えていたけど、あの気持ちが本当の気持ちだったと気づいた。

選択的夫婦別姓違憲になってしまう国に生まれたことが、残念でならない。
私は本当に嫌だったんだ。

言葉にして気づくことってある。
だから私はカウンセリングを強く求めていたんだなとも思った。

これは、例えば夫に私の旧姓になってもらえば解決する問題じゃない。
余計に、自分がいやだから相手に押し付けてしまったと思ってしまいそうだ。
(でも今よりはましかもしれないけど)

結婚するとか、名字を変えるとか、夫の仕事に合わせて移住をしたとか。
まさに今の女性のライフスタイルの「スタンダード」を歩んでいることが、すごく自分の首を締めている感覚がある。

いまの生活はすごく苦しいんだ。
この土地に慣れないというのもあるけど、もっと大きな意味で。
でも離婚するのは耐えられない。たぶん。

小さい頃から刷り込まれ続けたであろう「結婚」というシステムと、自分の依存的な性格、その板挟みになっているんだなぁ。
とてもしんどい。