家は選べない。

祖母とは、心と心のコミュニケーションがついぞ取れなかった気がする。

小さいときから、祖母は私を、祖母なりに愛してくれた。
でもそれは、私の望む形でないことも多かった。
祖母に対する愛着が築けなかった。
お金だけはたくさんもらっていた。

物心ついてから、おばあちゃんっ子な人もいることを知って、そういう人たちとの、温度差を知った。

愛がないわけではないのに。
愛されてないならわかりやすいけど、
おばあちゃんなりの愛情をもらっているから。
疑問を持ちながら、そのうちそれは諦めに変わった。

祖母には全く、自分を知ってくれているという安心感が持てなかったが、思えば母との関係にもそれは少なかった。

母は私という人間をどれ位知っているんだろうと思っていた。
親子などそんなものだと言う人もいるかもしれない。
じゃあ、この、心の中にぽっかり浮かぶさみしさは、何なのか。

やっぱり我が家には肝心な物が足りていない。

何度かブログにも書いているけど、血の繋がらない、母の姉一家を見ているとつらくなる。
あたたかくて。

私は厳しく育てられたと思う。
大きな決断を反対されたことはあまりないけど(進路とか)、日頃から怒られてばかりで、とにかく礼儀を欠いたり人に迷惑をかけないようにと育てられた。

母は、仕事は人に任せず、1人で抱え込む。
どんなに腹が立っても外の人には言わないから、そのストレスは家の中に回ってきた。

祖母と祖父は母を煮詰めて特徴を濃く抽出したような人だったから、喧嘩が絶えなかった。
母が祖父母に「死ね!」と言い放って大げんかになったり、していた。

とにかく息がつけない。
肩身が狭くて、苦しかった。
いつも大人同士で話が行われていて、一人っ子の私はそういう時、所在無かった。

そんな私のオアシスが、姉一家だった。
一家というか、母の姉の娘たち。つまりいとこたち。

禁止されていたスーファミができて、禁止されていたマンガが読めて、禁止されていたマクドナルドが食べられた。禁止されていたねるねるねるねも食べられた。

自由で、何を言っても怒られなかった。
理由あることでしか、叱られない。
何か喋れば、誰かが反応してくれた。
みんなよく笑うし、冗談が通じた。時々下ネタも飛び交った。
とても幸せな時間だった。

でもそんな時間が続くわけもなく、
帰宅すればみんなが不機嫌だった。
そして何かが理由となって私は怒られて、落ち込むのだった。

その落差が悲しかった。

小6のとき、お小遣いを貯めてプレステと、ダンスダンスレボリューションのソフトとマットを買った。

私は家族で遊びたかったけど、
そんな事できるわけがなかった。

私の寂しさはあの頃から何も変わってない。
あの頃寂しかった自分が今もずっといる。

今日いとこたちと話すと、やっぱりホッとした。
でも私はもう大人だから、悲しくなることを知っている。
だからといってそれは防ぎようもなく、
やっぱりみんなと別れると、とても寂しくなるのだ。

母は、「許す」「サボる」「甘える」ことができる彼女らを、良く思ってはいない。


辛いなぁ。
吐き出し終了。