断片的であること

語りたいことから共通点を見つけて、言葉にしていくのはとても難しいんだけど。近頃、断片的であること(という表現は、適切じゃないと思うんだけど、思い浮かんだので)について、考える。

まず私は、急激な心身の変化を経験したことがある。
精神病院から退院した2週間後から受験勉強に取り組んだり、同じ時期に、20kg体重を減らしたりした。

そういった事から、「人は変わるのだ」という考え方が形作られた。

また、ストレスの多かった少女時代、所々記憶が抜け落ちている。
友人から、当時の自分の奇行について知らされ、愕然としたりする。

近頃はましになってきたけど、そういうわけで、過去の自分と現在の自分との
間に同一性がないというか。
別人だろう、と思っている。

今も、波がありすぎる感情に揺さ振られ、急激に悲しみのピークに達しては、翌日に「昨日の悲しみは何だったんだ」
とケロリとしたりする。

次々と細胞が新陳代謝するように、心もどんどん違うものに作り変えられていって、さっきまでの自分はもはや自分ではない。

そういった事があるからなのか、別の理由なのか、いくつもの人生を体験したいと常に思っている。
どこまでも自由であって、過去と今の自分は同一でなければならないという枠から常に放たれていたいと思う。

父に言わせれば「人生がオムニバス形式」だ。

オムニバス形式の欠点は継続による成長がないことだ。
本を閉じるようにそれまでの人生をぱたんと辞めて次のものに手を出していては、何かのプロになるのは難しいだろう。

まぁでも、自分の方面がはっきりしてきたので、そっちを向いて、オムニバス式人生のプロを目指すしかない。笑


最近気づいたのは、全く違った個性が共存している場所も好きであるということ。

東京や大阪は多分そうだ。
街によって個性があり、少し場所を変えるだけできっと気分も変わる。
東京には少し苦手意識があるけれど、大阪は近いし、是非一度住んでみたい。

私の夢にはある街が出てくる。
異国の市場のような街並み、スタジアムのようなシンボリックな建物、近未来的な渡り廊下のあるビル、知っている商店街に似た場所、など、個性的な建造物がたくさん出てくる街だ。

何度か夢に出てきて、とても楽しませてくれた。

それとは別に、ショッピングセンターの夢をかなりの頻度で見るのだが、これもこうした向きから現れてきたものかもしれない。まさに、違った個性が乱立し、共存する場所であるからだ。(書いてて気づいた、感動。)

子供っぽいただの夢想かもしれないけど、私は全て知りたい。

医療事務員になり、数年後にはなぜかCAになっていて、結婚したり子供を産んだり、突如田舎ぐらしをしては、ダンサーに転向し、趣味のハンドメイドが話題になり、モロッコラマダンを迎え、インドで修行をし、子供の授業参観に行ったり、休みの日にはタッパーウェアパーティー、ケーキ屋になり、太ったり痩せたり、大病を患ったり、生き別れの兄弟に出会ったり…

なんてね。
でもこの位幅がある人生が、素敵だと思う。

もう少し、自分のこの個性について、考えてみる。