ここは何でも入れていい箱なので

この家にいるのは辛い。
京都で一人なんとか踏ん張っているのもある意味つらいが
京都にいる方が、地元があるからと思える。
ここに帰ってきて実情を見れば、あぁ、なんてヒドいんだ、と絶望をする。
ここはいわばセーフティネットで、遠くにありて想う場所なのだ。

本当に絶望しかない。

遊ぶという感覚がない。
「このくらいでやめとこっか」「適当でいいよ」とかそういうものがない。
やるなら血反吐吐いてもやり遂げる、完璧に!みたいなノリなのだ。

そのやり方がこの大きな家を作った、広い土地になった。

それはすごいことだと思う。
じいちゃんばあちゃんは成功を信じて、先を予測して、人のやらないことを率先してやって
この辺で一番大きな農家になった。

だけどわたしはそれに匹敵するくらいの負のエネルギーが、内側に溜め込まれて
しまったように思う。
それは母に伝わり、母から私に伝わった。

安易に「家を継がないなんて、恩を知らないのか」という人もいるだろうな。
昭和の家はどこもこれくらい毒ってたのかもしれないし。
でも、あれだけしんどい、毎日毎日がん細胞の増えるような(比喩です)思いをして
本当に本当に辛かったんだよ。

この家に偶然生まれたからって、本家だからって、一人っ子だからって、私が背負うべきものなのか?
これって、捨てても仕方ないんじゃないのか。
自分の幸せって、自分で決めていいんじゃないのか。

でも、この家の財産に、いざとなれば頼ろうと思っている甘い自分もいる。

早く身を立てたい。

やっと自分の思う自由の片鱗を見出した気がしたんだ
ついていきたいと思う人が見つかって、評価されて、
やりたいことができたんだよ。

私は私でいいんだよと言われたい。
言われないので、自分で言うのだが。

あぁ、ここに書き込んでだいぶましになった。
ここは、何でも書き込んでいい箱なので。