必ずまたやってくるでしょう

8/22、Hさんのオフィスを出たあと、男友達と大阪の劇場へ向かった。
彼氏(と、友人ひとり)の所属する劇団の公演を見に行くためだ。

これが、素晴らしい演劇だった。
自分のために内容を全部書いておく。大丈夫だと、思うが。。

23歳のとき、恋人が失踪してしまったという女性が主人公。
いなくなってしまった、という事実が彼女に及ぼす影響はあまりにも大きい。

職場では自分のことを語りたがらない。
テレビも見ず、流行りの歌もわからない。
同僚が結婚しても、お祝いの歌も歌えない。
かたくなに、歌おうとしない。「ズレた人」になってしまっている。
ある日、家族が失踪してしまった、残された人たちの集まりに出る。

そこでは繰り返し、失踪者について思いを巡らせ、
忘れるということをしない。
それに意味があるのだと主催者に言われ、そのあやしいセミナーのような会に彼女は通い続ける。

恋人を忘れるために3年間つきあっていた男がいたのだが、その元を無言で去る。
自分を置き去りにした恋人と同じように、今度はその男の前から去ったのだ。
今度は上記の、残された人達の集まりの主催者とデキてしまう。

数年後、かつての同僚と産婦人科で偶然に再会し、
今度みんなで花見をするから来ないかと誘われる。

そこに行くと、自分が置き去りにした男、失踪した恋人を探そうと協力してくれていた
かつての同僚たちがいた。
主人公は、23歳のとき失踪した恋人と、幸せに暮らしていると語る。

同僚たちは「見つかったのか?!」と聞くが、
主人公は「なんのこと?」という。ただ幸せそうに、恋人のことを語る。
まるで、失踪の事実などなかったかのように。
ぞっとして、同僚たちは触れないようにしようとするが、
そこへ残された者たちの会の主催者の男がやってきて、主人公と恋人のようにふるまう。
主人公はその男を、失踪した恋人の名前で呼ぶ。
主催者の男も、その恋人になりきっている。

同僚たちは動揺を隠せない。気味の悪さを抱えたまま、そこを去ろうとする。
彼らの背中に向けて主人公が叫ぶ。「私は何も間違ってない」と。

そして、なにがきっかけだったかな、失念してしまったけど
間をおいて、とうとつに、同僚たちが残された者の会の主催者の男を殴る。
男は、あやしいセミナーを主催しているということで有名だった。

舞台は暗転して、46歳になった主人公が現れる。
舞台の上でのたうちまわり、苦しんでいる。なにも語られない。
そのうちに、舞台奥の、外とつながるシャッターがあき、リアルに劇場の向こうの食堂が出現する。
立ち上がって、スモークの中、主人公は外へ歩いていく。



文章にするのは難しい。
でも筋としてはこんな感じ。

失踪された、その喪失体験がおよぼす影響は、あまりにも強いもの、として描かれていた。
同僚たちは外の世界の人として描かれる。冗談を言い、カラオケに行き、結婚をする人たち。
彼らのリアルな普通さを描いたことで、主人公の消せない空洞がよりはっきりと表れたと思う。

何度も泣いてしまった。
カラッポな彼女を見るのがつらくて。寄り添ってあげたくて。

ズレた人、というのはいる。
つじつまが合わない、なぜそれをここで拒むのか?とか、なんかおかしいな?という人って、いる。
これは演劇だから、事実ではないかもしれないけど
私は勝手に、彼らのことを想った。愛をもって接したいと思った。

そして自分と外の断然、消せない空洞というのは
自分にもある(あった)からここまで響いたのかもしれない。
自分はまるで海のなかにいるようで、外の声は遠く聞こえる、ぼやけて見える。
ごく普通の人生が、手の届かない世界だ、と感じたことがあるから。

すでに自分の中で特別な作品になっている気がする。
わかる、のではないけれど、わかりたい。
あの暗さを、劇場で追体験していたい。
あの場所にいる自分が、自然なように思える。一緒に苦しむことが。悲しむことが。
どうしようもない選択をすることが。


というわけで、大阪にいる、社長ことHさんを誘ったので、今日、二度目いってくる。笑
Hさんはどんな風に感じるだろうか?何も響かなかったら、悲しいなぁ。
「暗っ!!」て一蹴するかなぁ。うーむ。

大阪公演が終わったら、すこし日をおいて関東で上演される。
それまでに一度、彼氏に会えたらなぁと思っている。

彼にメールですごくよかったと伝えたら、「リコちゃんはきっと好きになる、何か感じるだろう、って思ってた」
と言われた。

彼にも言われるそれってなんなのか、二度目のあの凄さを体験して、もっと自分の言葉で
語りたいと思う。