分岐点

Facebookで、わたしの人生を狂わせた人を見つけた。

狂わせたなんていうと大げさかもしれないけど、たしかに一つの分岐点を作った人。

中2の時、そいつが、嫌がらせみたいなことをしてきて私は学校に行けなくなった。
仲が良かったけど、無茶な提案をされてケンカになり、そこからなぜかクラスの他の人も味方につけて私を攻撃してきた。そいつは不良グループとも仲が良かったから、しきりに私を脅してきた。

最終的にはそいつのクラスと私のクラスが対立する構図になった。そいつのクラスの先生も、そいつに味方した。

学校に行けなくなって、同年代の子が怖くなって、外に出られなくなった。
一歩でも出ると吐いてしまう。

妄想とも言えるような思い込みもひどく、通りすがりのおばさんが私を殺そうとしてるとか、本気で思っていた。

腕をカッターで切ったり、ひたすら壁に頭を打ちつける自傷も始まった。


そいつとのことはショックだったけどきっかけに過ぎなかったのかもしれない。
それまでに溜め込んできた親子関係の歪みの発露でもあったと思う。

けど私の人生が、「ふつう」のレールから外れるきっかけになった、大きな出来事だ。


そいつは今結婚していて、子供が2人いるらしい。
牛乳屋に嫁いで、家も建てている。
けっこういい暮らしをしているみたいだ。

中学のころ、悔しくて悲しかった。
何回もそいつの夢を見た。
くすくす笑っているそいつに、思いっきり言いたいことがあるのに声が全然出ない夢。

どこで何をしてるのか知らなかったから、そいつより幸せになることが最大の復讐だと勝手に思ってた。

そいつは今、一般的な目線で言えばまあまあのステータスを持っている。
私はそんなものに踊らされるつもりはないけど、幸せって何だろうと思った。

結局のところ、自分的ベストでも妥協でも、幸せだと思わなくちゃやっていけないよ。

そいつは、万引きもするし、人のものも盗る。勿論嘘は平気でつく奴だった。

私は一緒に住むパートナーも子供もいないし建てた家もないけど、自分のことを幸せだと思わないと立っていられないと思った。十分幸せだと思うし。

私は私の人生を十分肯定できるようになった。けど、どこかでそれは私が勝手に思っている、信じているだけだと聞こえてくるみたい。

私の方がずっとドラマチックな人生だ、って思う。いろんな経験をして、自分を成長させていろんなもの得てきたんだ、って思う。

でもわたしのこの価値観は、他の誰かにとってはゴミみたいなものかもしれなくて。子供産んでなきゃ生きてる価値がないと言う人もいるかもしれないし。

だからやっぱり自分で思うしかないんだ。人生ってすごくシビアだ。

彼女の人生を知って複雑だ。勝つとか負けるとか勝手に考え始める。それぞれが人生を選択して、幸福になるために行動をしてきた、その途中経過を知ったにすぎないのに。

でも最後により幸福になるのは私だ、と思ってる。未来は見えないから、思いたいんだ。できればこれ以上知りたくない。

私の思う幸せって何なんだろう。
お金?パートナー?子供?高価な物?
私は一生、もがきながら生きる気がする。

もっと感動して揺さぶられて、私の思う本質に近づきたい。それが一番の幸福なのかもしれない。