祖父の兄のアルバム

土日、祖母の3回忌で実家に帰っていた。

法事の手伝いでとても大変。前日は餅つきや買い出しに掃除、当日はお茶出しにお菓子の用意、仕出しのセッティング。本当に疲れた。

そんなバタバタの中、母と少し雑談したときに見せてくれたのが、祖父の兄が作っていたアルバム。

昭和10年頃から18年頃までの写真が貼られ、丁寧にコメントもされている。

家族写真や友人の写真、銃を持ってポーズをとっていたり、時代背景あってこそだ。

添えられた一言は詩的で、その心の豊かさを伺い知れる。

戦争が激化するにつれ、写真を撮る余裕もなくなったのかな。
祖父の兄、Y太郎さんはどこかの国で戦死してしまったのだ。

これが人知れず家の中にありつづけたことに驚いた。

祖母が亡くなったときもアルバムが見つかり、祖母の心の中を思わせるその写真の並べ方に、胸が詰まる思いだった。

大切な瞬間に撮った写真を、さらに観やすく、他人のためだったり自分のためだったり、編集する作業。
そこに現れてくる、編集者の個性というのは大きいものなんだなと思った。

彼らはアルバムを、他人に見せる気ではなかったのではないだろうか。
もしかして、こんな風に後から人に知られてがっかりしているのかも。

でも私は感銘を受けたよ。
日本がすこしずつ軍国になっていった事実、その中でも家族や友人との繋がりを大切にしていたこと、日々の生活や趣味の写真も。

Y太郎さんの最後の写真は、多分中国から届いた写真だった。軍服がりりしいけど、どこか不安げで、本当に戦争なんかより写真や詩の方がずっと向いているのに、と思うような表情だった。
色白で目が下がっていて、寡黙そうな。私たち一族の顔だった。

戦争はよくないと痛烈に思った。
Y太郎おじさんが写真の中で被っている帽子は、遺品として今も保管してある。

戦争があったことなんて忘れてしまったって、生きるのには困らない。
だけど過去の事実を通して何かを「想う」気持ちというのは、複雑でポジティブな力を私に与えてくれる。

まとめられない。ねる