ヤバい、不調だ

調子が悪い。
一生懸命、むらなく仕事に打ち込まなくてはいけない大事なこの時期に。

精神的にちょっとストレスがやばい。

理由は母のことだ。

突然LINEが来た、たわいもない内容。
いつもの通り「そうなんだ」と、淡々と返して、会話は終わり。

もうこうなってから9ヶ月経った。
あっという間に年末が来るのだろうが、帰省する意思はない。

それと相反して、時々急激に、幼かった頃親にしてもらって嬉しかったこと、楽しかった思い出も蘇るようになった。
実家に帰って、母親の作った食事をもう一度食べたいとも思う。

もしもずっとこうだったら?と思う。
次に会う時は母は老いていて、もう昔のように一緒に買い物に行ったり、ドライブを楽しんだりということはできなかったら。

家を飛び出した時は先のことは考えていなかったし、母はまだ若いので、もう一度打ち解けたりすることができるかもしれないという希望的観測をどこかに持っていた。

でも、時間が経つのは思ったよりも早い。きっと、母も自分もこれからどんどん老いていく。
関係を修復するなんて、根本からなしとげることは多分無理だ。それをようやくわかってきて、だからこそ楽しかった思い出もなかったことはないんだと蘇ってくる。

心の中で母の存在をなかったことにすること、ある不幸な一つの親子のパターンとして、自分を理解すること。

人生にはどうにもならないことがあるけど、受け入れるのはとても苦しい。
可能性があるかわからないことにエネルギーを割くことも、とても大変だ。

毎日毎日仕事のことを考えて、週末は騒いで、それくらいが関の山だ。

私は本当は母と普通の関係が築きたかった。
帰省したら「おかえり、元気だった?」の一言くらい欲しかったし、一度くらい時間を気にせず2人でお酒を飲んだりしてみたかった。
母は私のことを1人の大人として見てくれない。私たちは会社で、これまでにない挑戦をしているけど、そこにある程度の尊敬を持って見てくれるということはない。
母は家庭にのしかかった課題を1人で全て解決しようとし、それを自分の運命だと言い張る。ゆったり過ごしたい私がそれを一緒に背負おうとしても、ひとりで背負い、苦しむというところまでが母の目的なのだ。苦しんで、誰も助けてくれないといいながら、その苦しみを手放そうとしないのは母自身だ。

挙句、帰省した私に向かって「リコが帰ってくると私の時間が犠牲になる」と言い放つ。

私はその言葉を受けて、実家を離れた。

母に変わってほしい、普通の親子関係を持ちたいと積極的に願うことにも疲れた。だから距離を取っている。

母が建設的に、関係を修復しようと働きかけてくれるなら応じるつもりはある。でも自分からするつもりはない、もう罵詈雑言は一言も聞きたくないから。

母は私のことをどう思ってるんだろう?
このことを真剣な問題だとは思ってないのかな。私が意地を張っているとでも思ってるのだろうか。

能天気にラインを送ってくるのはやめてほしい。問題解決を後回しにして、雑談ばかり。それを送れる神経が本当にわからない。

ここまで苦しんでるなんて知らないだろうし、もし知ったらパニックになって怒鳴るんだろうなぁ。
人格が破綻してるのに、なぜ子供なんてこさえたんだ?おかげでこっちは毎日必死で生きてるよ。サバイバルだ。

自分の中でステージが進んだのだとおもう。いつかなんとかなるという希望的観測を捨て、実際どうであれ、このまま、理解しあえないまま母の葬式を迎える日をシミュレーションする段階に。


母といて楽しいこともあった。
一緒に映画を見たり、出かけたり、母のたまに作るご馳走を食べたり、私の料理を振舞ったり、そんな記憶もたしかにある。

まあ包丁持って迫られたり殺してやると罵られた方が強烈に覚えてるけど笑

まだ生きていて意識もしっかりしているのに、心の中ではもう葬式をあげる覚悟をしておかなければならない。

色々な思いが去来して、眠れそうにない。仕事でもするか…。。