とりとめのないこと

金夜は、知人を行きつけのバーに誘って飲んだ。最初は盛り上がりに欠けたが、終電が終わると人々が集まってくる。

常連も、新しい人も、あの場所では立場もなにも関係なく飲んで、好き勝手喋って、仲良くなる。

嫌なこともあった。しつこいファッキンナンパ師が体に触ってきて、何度離れてもついてくる。
でも常連パワーで店員も味方してくれたのがホッとした。

ただ、怒りのせいもあって、あと同業者に会えたことが嬉しく酒が進み、酒の弱い私に珍しく10杯程度飲んだ。

なんとか帰宅したがそのまま寝てしまい、一度起きてからはゲロ大会。

昼に友達と待ち合わせがあり、化粧は乗らないし水も飲めないひどい状態でカフェで待ち合わせ。
しかし、カフェでこっそりヘパリーゼを飲んだら1時間ほどで回復してきた!ほんとうにヘパリーゼさんすごい!!

その後は渋谷をうろうろし、結局互いにいつも虚弱なので小汚い公園でひたすら喋った。

夜はずっと行きたいと言っていた台湾料理の店に行き、豪華なメシを食らった。うまいいいい!

呑んだくれて、食べて、爆笑して、あーーもうこれでいいなって。
これが私の幸せだなと思った。

いくら社会的地位のある人に好きになってもらえても。
直感と、客観と、冷静な主観で(前も書いたけど)精査して、ナシと踏んだのならそれが答えであり、それしかないんじゃないか。

肝臓が悲鳴を上げている感がやばいので今日は飲まず、茶をしばいて帰宅。

たのしかったなあ

同時に、角田光代の「ツリーハウス」を読み終えた。人生について考える。。

人はあっという間に死ぬ。
逃げることは恥ではない。逃げたことがルーツだったからこそ、根無し草的な家族が出来上がった藤代家。の話。

ほんとに、アッという間に死ぬってことを毎日毎日意識して生きよう、それしかない、と思わされた。

どうせ死ぬのに、英語勉強して、仕事頑張ってどうなる?
生まれてきたのに子孫残さないでどうする?

でも、すべて精査して私が答えを出したなら、それが答えになる、ホンモノになる。

自分にとっては、自分に嘘をつかないで、ホンモノのことをし続けるってことがとても大事だから、悩みながらもそれをやり続けられるなら、死んでも後悔しないんじゃないかな。

わたしはわたしの人生を肯定できるようになった。
人と目を合わせられず、生きてることが恥ずかしかった自分は確かにいたけど、過去のことだ。
佐々木俊尚さんが「自分でつくるセーフティネット」という本を書いている。私はまだ読めてないけど、ただタイトルで判断しただけだけど、私はセーフティネットを自然と作れているのではないかと思う。

家族とはしっちゃかめっちゃかだけど普段連絡を取り合う友人がいて、親友も何人かいて、ほんとうに困ったらリアルに生活に根ざしたお助けもしてもらえると思う。

もちろんどうにかなったらお国のシステムにも頼るけどね。国に頼るのはすごく大事なことだ。

生きていてよかったなあー
頑固なつもりはないけどずっと私が芯を曲げずにいられたのはなんでだろう。
怒りかな?
それが出発点だったとしても、もう大丈夫な気がする。

うーん
なんて
書きながらなーんも、保証なんてないってこともわかってるんだけど。

でも将来なんてわからないから、本当に都度精査するしかないから。


明日は英会話!ののち友達が少し遊びにくる。夜は俺のイタリアン行きたいな~、1人だけど(笑)

あー!おそくなったー!ねよ