人生と反比例

人生が前に進んだかのように見えるのに、体感的には後退している。
というか前進についていけなくて、乖離が大きくなっているような。

衝動的な感情が湧いてきて、自分でも対処に困る。どうせ全て失ってしまうだろう、どうせいつか死ぬんだし、今こうして泣きながら過ごす時間は無駄、と思ってしまう。

杉並は本当に平和で、街の中も日本人だらけで、それも孤独を加速させる。

新宿を早く出たかったことには違いない。けど同時に混沌や振れ幅の大きさ、殺伐とした感じ、それらが心の一部にフィットしていたことも真実だと思う。

ここに引っ越してきて、お風呂に入ってテレビを見て、夜に酔っ払って帰ってきた彼に「おかえり」というのはとても一般的な幸福の象徴のようで、それを求めていたはずなのに、どこかで思いっきり拒否をしているみたいだ。

大阪にいたとき、わざとぼろな服を来て、はすっぱな感じで西成とかに行くのが好きだった。
うまく言えないけど、不良と言われる人たちが不良らしい出で立ちをしてそういう人たちが集うところにわざわざ行く感じかなぁ。

ものすごい衝動性と、そんなのは散々だから安心したいという気持ちが相反するのに自分の中にあって、彼と仲良く食事をした直後に、こうして一人きりになってもう死んでしまいたいとまで思う。

医者に「誰も助けてくれないと思ってるでしょ」と言われたのは本当にその通りだ。

父親に頼ることはあるけど、いつ死んでもおかしくないと思いながら接しているし、彼氏に対してはなおさらだ。
彼氏に対して私は、自立した1人の大人として振舞っている。メンタル面で甘えたり、そんなことはできない関係性だ。

そして誰かに依存的になったらもっと終わるとわかっているから。
だから、誰も助けてくれないと心から思っている。誰よりも誰かに助けてほしいくせに。

この家は安心感があって、住みやすく、なのに私には場違いみたいだ。

もうひとしきり泣いたのに、することが見つからない。