彼氏が帰ってこない

昼の3時から飲みに行った彼は、終電でも帰ってこないらしい。

私はこの連休は引っ越しだと思って友達との予定は入れなかったのに、と嫉妬している。
浮気してるわけじゃない、チャラい相手だけどただの男友達と飲んでるだけ、わかってるけど。

でも暮らし始めて数日で朝帰りって、なんか釈然としないのだけど、私がおかしいのかな。

つい「私たち、一緒に暮らし始めたばかりなんだよ?」とメッセージを送ってしまった。明日は家具を見たりお金を清算したりネットの開通手続きをしようかと言ってたが、遅くなるなら難しいだろう。

ただ、送った直後に まずいことをした、と思って「ごめんね、わかった、先に寝てるね」と送信した。返事はない。

彼のいいところがたくさん見えるし それに釣り合う人間性を持ちたいと思う。けど、湧いてきた怒りを堪えるのは難しい、とても難しい。

根底にあるのは諦念と渇望だ。
いつか裏切られる、どうせ私なんか、という諦念と、私だけを見て欲しい、認めてほしいという底なしの渇望。

二人でやっていくというのは、その渇望をいかに自分の力で埋め、相手を許すかということだ。
許すって、難しい。キャパシティがないとできないことだ。

彼は私が朝まで、たとえ男友達と飲んだとしてもなにも言わないだろう。

彼と私はもうすぐ休みが合わなくなる。
だから一緒に新生活を整えたり、出かけたりしたかった。
彼はそれをあまり気にしてないみたいだ。
私も、かといってじゃあ彼とどこに行きたいの?と言われたら困る。

「一緒に外に出かけようとしてくれる」ような愛情が欲しいだけなのだ。

常に愛情を渇望しているからこうなる。
彼もいずれ疎ましく感じるようになると思う。
そんな風にはしたくないし、大分我慢が効くようにはなってきた、けど、もっと相手を許して、執着しないでいないといけない。

7つの習慣買おうかな。

結局いつも、そこに原因はある。
渇望を彼に求めてはいけないし 彼でなくても一生付き合っていかなくてはいけないテーマなのに。

私はサバイバーだ。
今まで必死で生き抜き、その場にうまく流されながら、選びながら、成長してきた。

今日読んだ桐野夏生の新刊「バラカ」。
強烈な出生のルーツを持つ10歳の少女バラカが震災を始めすさまじい受難に遭う話なのだが、あるシーンで、大きな流れに流されまい流されまいとしながら、ふっと力を抜いた瞬間思う通りになるという記述がある。

大事なシーンなのだけど、緊迫し続ける物語の中で諦めともいえるバラカの姿勢がその後の生存を決めるというのがすごく印象的だったのだ。

先日見た「オデッセイ」でも、主人公が火星ではなく、地球に戻ろうとするシーンだったかな?
宇宙空間にただ一人で、ただただ一人で己に向き合うシーン。確かかなり装備を削った船の中だったか。

生死をかけた場面で、人がある種の覚悟をするシーンというのは凄みがある。そういうシーンが、好きだ。
そこで死んでしまわない、諦めて力を抜いたからこそ助かる、という流れが好きだが、エヴァンゲリオン劇場版の、みんながLCLに飲み込まれていくシーンも嫌いじゃない。

人が人生に諦めをつける、その瞬間にその人そのものが現れるし、人間の人間たる証拠が見えると思うから。

結局、自分が欠損しているから、そこに魅力を感じるのだ。
人は逃れようがないほど孤独で、彼氏に執着している場合ではないということをもっと、もっと体に刻み付けるように知るべきなのだ。

可能なら今日は手首を切りたいと思うほど、追い詰められていた。
痛みでようやく正気に戻れるんじゃないかと思うからだ。
でも彼にもう心配はかけられない、そんな関係性は嫌だから、そうはできない。

でもできるなら。
ピアスを開けたり、タバコを腿に押し付けたり、腕に傷をつけることで確認をしたい。確かに自分が今ここに生きていることを、知りたいから。


あぁ。
今から飲みに行ってしまおうか。
どうせ帰ってこないんだろう。眠剤も飲んでしまったが。
でも当てつけみたいで癪だ。

「バラカ」の中に、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」が出てくる。
当時はドラマ化なんて想定されてなかっただろう。ちなみに今放送中のドラマにも、「バラカ」が写り込むらしい。すごい演出だ。

辛すぎるので暫く読書に耽溺しようか。

とにかく寝なくては。

明日のことは明日考えて、今日はできるだけ、とりあえず、幸福に。

彼のいいところもいくつも見えたのだから。

只管忍耐。