孤独に虚無と闘うこと

今日まで関西の友人たちと会ってきた。
基本的に、ファシリテーター不在の自助グループのようなことをやった。
といってもみんな穏やかなので問題は起きない。

語るということは本当に大事で、久しぶりに同じ問題に悩む当事者と会うことで心がかなり満たされた。
みんな安心して、1人は仲間と集まれたことで感極まっていたようだった。

が、そのまま自宅に帰って彼と2人になって、あっけなくそれは崩れ去った。

2人で暮らすのは辛い。
私はこれまで生きてきた中で、何が自分の幸せかということがわかるようになってきた。それなのに、いま取っている行動はその幸せの理想図に逆行している。

もちろんいい面もあるけど。

どんなに彼がいい人でも、関係ない。私が空虚を抱えているから。

死にたい、そうするくらいならば海外に行きたい、夜は考えが過激になってしまう。いま、「棄国子女」という本を読んでいるから尚更だ。

なんどもなんども繰り返す思考パターンに心がやられそうになる。


私は誰かに守ってもらうという幼児的な時期を抜け出して、主体的に人生を掴もうとした。
今は取材とライティング、よわよわな営業というスキルしか社会人としては持ち合わせていない。(しかも全て日本語

おもったままに書くのでめちゃくちゃかもしれないが、今信頼できるのは、金と友達と筋肉だ。
男なんていつもすぐに消え去ってしまう。変わらないものがほしい、確固たるものがほしい、人との体験を通して、固執せず、自分は幸せだと胸を張って言えるようになりたい。

とりあえずACT、DBTの本を読んで泣きながら寝よう。

この生活をいつまで続けるか、どんな決意をするか、しないのか、それが問題だ。

停滞したままの人生はつまらない。
転がって傷ついて、何かを掴んで立ち上がるという繰り返しが少なくなっていると思う。

心を震わす何かを、いつも求めてる。
平和なご飯も、あたたかなお風呂も大事だけど、何か違うと感じてしまう。
でも、そんな生活にどこか憧れてたんだからないものねだりだろうか。

どこかに飛び出したい。自分の思ったことを、思ったままにやりたい。

友達の前だとリラックスしてなんだって言えるのに、彼の前だと何も言えない。これを半年続けてきた。これでいいのか?本当に、これでいいのか。

すごく大きな問いかけをされてる気がする。自分の人生、どうしていきたいの?
とりあえず大きな判断はせず、せっかく独立した部屋もあるので、自分に向き合って考えたいと思う。