心に正直に生きることの難しさ。

彼と休みが合うようになったので一緒に過ごしてみているけど、やっぱり合わない部分が大きい。
特に、何か一つ話をすると、ろくにあいづちを打たないで、そこから思いついた自分の話をされるというのが、辛い。彼もまずいと思って気をつけてくれているんだけど、なかなか直らない。

ここまで人間性の違う相手だと、「相手に変わってほしい」と思ってもうまくはいかない。(そもそも相手よりまず自分から変わるべきなのだが、限界を感じたので最近は頼むようにしていた)
ベースが違うのだから、こっちのニーズが相手にはわからない。その場その場を取り繕うだけになり、それもままならないから、不満が溜まっていく。

相手の大事にしたいものを、私には大事にできないし、その逆もしかり。
相手のために「変わろうとする」行為は、相手を理解していないとなんの意味もなさないのだな、というのを思い知っている。これ以上に彼に求めるのは酷だ。

お互いに苦行だから、もうやめたほうがいいのかもしれない。
とも思うし、私のほしい「人と人の心のふれあい」のようなものは他で満たすべきなのかな、とも想わなくもない。自分とは違いすぎて、そこにやっぱりまだ魅力を感じてもいる。

今後どうなるかはわからないけど、とりあえず今週から台湾に逃亡。
台湾で占いに行ったりクラブに行ったり、全力で楽しんで、日本での自分の生活を振り返ってみるつもり。
台湾で理想の男性に出会って、運命的な恋に落ちたりしたら、何も考えなくて済むのにな〜 笑
そんな安易なことは起きないよな。


しかし、最近自己実現できたと感じる機会もあった。

とある本の公募に、自分の原稿が載ることになった。
一応文章を書く仕事の端くれというのもあるのかもしれない。
もうすっかり忘れていたけど、送った原稿を読み返したら、手前味噌ながら良い文章だなぁと思った。
あと、お客さんにもわりと「完璧です」「理想どおりに文章にしてもらえました」と言ってもらえることが少しずつ増えてきた。(なかなかないけど。)

私は昔から物語を生み出すのが本当に苦手で、でもエッセイを書くのは嫌いじゃない。
自分のフィルターを通して、現実にあるものが色付けをされてこの世に別の形で生み出されるということに、興味がある。

最近はfacebookにも時々投稿するようになった。あえてやらないと、できないことだけど意識的にやるようにしてる。

あと、仕事に必要なコラムを書かないといけないことがあるのだが、そのとき思ったのは自分はとことん「重く」「読み応えがあり」「ためになる」ようなものを発信したいのだなあということ。
これは本当個性だなと思う。

少しずつ、自分の考えや内面に溜まってきた澱のようなものを文章として解放するのは清々しい。

もちろん面倒でもあるけど、自分のためだし、もしそれが人の共感を呼ぶのであれば無意味ではないと思う。人よりも文章を書くのが嫌いではない星に生まれたのを幸いと思って、いろいろやってみよう。