依存的な自分

台湾旅行はとても楽しめた。

今日の夕方、成田に到着。
帰ってくる飛行機の中で、外の風景をぼうっと見ていたら、自分ってなんなのかと涙が出てきた。

この旅行で、もちろん彼のことは考えたし、一緒に行動していた女友達についてもじっと考えていた。そして自分についても。

みんな個性があって、いいところも苦手なところも、優れたところも、様々ある。
でもみんな違うから、そのデコボコが衝突を産んだり、ピッタリはまって仲良くなったりするんだなと、いろんなこと考えた。

自分はやはりかなり依存的だなと思う。
親身に聞いてくれる父によくそれを言われて、特に母と比較したり母に似ているという調子で言うのでかなり反発していたが、似ているかはさておき、依存的だと思った。

嫌なら別れる。
これができないのが私だ。まあ誰にとっても大変なことかもしれないけど、私はとにかく相手にしがみついて、状況を延命しようとし、どうにもならなくなるまでひっつこうとする。自分から離れることができないから、向こうがアッサリ別れてくれないと時間ばかり費やすことになる。

1人だと不安で、パートナーがいると安心する。
そこまで1人が不安で将来に絶望するくらいなら、多少の不満を抱えてでも相手にしがみついたっていいのではないか?という気もする。
健康的ではないけど、消極的な解決方法ではある。
そんなことを思うくらいに思い詰めてる証拠なのかもしれないけど。

人に依存をあまりしなくなった、と思っていたけど、やっぱり根本的なものが劇的に治ってしまうようなことは、ないんだ。

今日、恐らくもうすぐ、彼と久々に会うというか、私のいるこの部屋に帰ってくるだろうと思うけど、正直どうしていいのかわからない。すごく不安だ。

社長には、延命措置はするな、情で引きずるなよと言われたけど。
毅然としていようと思っても、一度強烈な不安に見舞われると、しがみついてしまう。涙が止めどなく溢れてしまう。

別れるのはつらいからだ。もう見捨てられたくはないからだ。

そんなことをグルグル考えていたら、飛行機の中で涙が出てきた。。

彼のことはあってもなくても、今は自分について考えた方がいい時期なのかもしれない。
狭量な自分、本当にしたいこと、人に引きずられている部分を取っ払ったら自分はどういう人間なのか、考えて、考えて、一皮むけた大人になりたい。簡単じゃないけど。

書いていて、不安で、お腹が痛くなってくる。

どう振る舞ったら、いいのか。
早く寝ないとと思いながら、内心彼の帰りを待っている。
いつもより、遅い。