1988

丘を越えて を聴きながら、自分の生まれた年のことをふと想ったら、なんだか切なくなって涙が出てきた。

28歳だから、もう28年前。
どんな時代に、どんな環境で自分を授かったんだろうなあと、両親の気持ちを想像する。

多分父が公務員だから、公務員宿舎にいたのだと思う。
3年前、母と一緒にその頃の家を見に行った。

まだ取り壊されたりはしてなかった。
見に行った時私が住んでたのは大阪で、両親が住んでたのも大阪で。見にいけばいつだって行ける距離なのに、住んでた当時以来初めて見に行った。母も。

「やっと見にこれるようになったなぁ」って言ってた。

奇跡的に、変わってないままのお店なんかも結構あって、母は懐かしそうにしていた。

団地のドアにはどれにも小さなのぞき窓があって、私たちが住んでいた部屋は空室だったから、中が少し見えた。ほんの少し覚えてた。

母が私を妊娠して、実家で産んで戻ってきて、私が2歳になるまで両親と3人で暮らした部屋。

おもいっきし機能不全家庭だけど、うちは暴力とかがあったわけではないし、たまに聞いてると「本当にこの親は子供を愛してる?」と思う家庭もあるけど、うちは本当に愛しかたがわからなかったんだな、という感じがする。
愛がなかったわけではないことは今はよくわかる。2人の仲も悪くて、余裕を持って子供に向き合えなかった。本当は3人仲良くしたかったのに、主に母に満たされない気持ちが強くて、うまく行かなかったんだろうなって。

私を妊娠しながら、期待していたかな。楽しみにしていたかな、と思う。
健康に生まれたけど、今は遠く離れてしまった。
3年ぶりに会うのか。
だからこんな事を考えるのかな。
自分がまた少し大人になったから。

私を妊娠してた母の年齢よりも、大人になってしまった。

自分自身が満たされないのに、不安だっただろうなと思う。母の不安は手に取るようにわかる。子供はいないけど、私も似た気持ちだから。

親が決めた結婚だったけど、父のいいところを精一杯見つけようとして、知らない土地で生きてくのに一生懸命だったんじゃないかな。

今、母と連絡はほぼ取らないし、母のしてきたことが正しいと思わない。
ここ数年、しっかり母を恨めるようになってからは恨んで、恨んで、ステージで発表もしたし(笑)、この間は出版物にも載ったし、自分なりにとにかく怒りや恨みをアウトプットすることで客観視を試みてきた。

3年経って、別にそれが落ち着いたとかスッキリしたとかひと段落したわけじゃないけど、結婚の挨拶があるとはいえ、実際に会ってもいいかもと思えるようになった。

被害者意識はあるし、恨みも消えてないけど、実際に母にぶつけなくてもいいというか。
親と対峙しろという本もあるけど、私は個人的に徹底的に恨んでマシになってきた感がある。
今の母が「うまくやっていける」状態なのかは全くわからないけど、まあとりあえず油断はせず、有事の際はすぐ逃げる覚悟で、会ってみようと思う。

ああでも本当は
気兼ねなく会えて、健全な愛着とか信頼があって、お互いに尊敬できるとことかあって、たまにはお酒でも2人で飲んだりできるような親子関係がよかったなあ!
恵まれた人生だから、手に入らないものがあってもしょうがないけど。

多分母は私を身ごもって嬉しかったと思うし、生まれてきて喜んだと思うし、本当は仲良くしたかったと思ってくれてただろうと信じてる。一生本物は手に入らなくても、25歳の時の母が、期待に胸を膨らませてくれていたんじゃないか、そうに違いない、って思いたい。

もし自分に子供ができるとしたら、大人になってこんなブログだけは書かせたくないな!