月並みな結婚の話

10年前の日記を読み返したら、当時の彼に会いたいけど会えなくて悶絶していた。
同時に、別れたいけど別れのダメージの方がでかいことがわかりきっていて死にたいと言っていた。

本質的に人間は変わらないな。

でも、ちゃんと立派に正社員になって、住民税納めて、筋トレまでしてるんだから、随分よくやったほうだ。

人と会う予定ができて、気持ちが明るくなる。
いつ何の、移住に関連する予定が入るかわからなかったから、ほとんど友達と会わなかった。

10代の終わり、そんな風に苦しんで
20代の終わり、今みたいに苦しんで

私はどんな風にして死ぬんだろうな
当たり前に事件や事故に巻き込まれたくはないけど 自殺するような絶望的な状況も嫌だ。
お金がないとか、頼れる人がいないとか、みじめな人生は勘弁だ。

今日は背中のトレーニングで
休み休みカフェでやってる仕事ももうすぐ終わるからジムに行かないとなんだけど
気分が乗らないな。

また、話しあいのきっかけを切り出すのは自分なのかなとか。
一旦離れて考えれば些細なことだけどさ。
愛する人を失うよりはずっと些細だけど。

日常って些細で、でも積もると大きくて、愛おしくて、憎い。

そうだな、憎いと思っているんだ。
こんなにしてやってるのに。こんなに愛してるのに。って。

そう思えば、愛する人を作ることは、一生その人を愛しぬきますと宣言することは
どれだけ重いことか。

空気はなければ死んでしまうけど、普段はあることに感謝すらしない。

笑顔を忘れず、毎日感謝を持って、親しき仲にも礼儀ありで やっているつもりだし
それは相手も同じ。お互い尊重し合えていると思う。

それでも、どうしても許せないことが出てきてしまったら どうしたらいいんだろう?

愛とか、思いやりとか、誠実さだけでどうにもならない時、相手への信頼を目減りさせながらただ我慢する以外に、どうやって対処すればいいんだろう?

知らない者同士なんだから、とよく言われるけど
知らない者・違う者同士が同じ屋根の下で死ぬまで仲良く暮らすなんて、無理な話なのに人類も誰も彼もが実践しようとして、多くが離れ、多くは一緒に居ながら心を閉ざすのに、わざわざそれに挑戦するなんて、そもそもまったくもって滑稽で、バカげた話なんじゃないの?

寂しい想いをしたくないから、つがいを作って、ままごとみたいに小さな部屋の中で二人がくるくる動いて、朝が来て、夜になって、そこに意味を見出そうとしてる自分って、一体何なんだろう。

私は多分死ぬまでどんなに頑張っても、一人でいることができない。
彼は、その大きな欠点を忘れさせてくれる、かけがえのない存在だ。
まるで暗い過去なんてなかったかのように 穏やかでのびやかな時間をくれる。

後ろを向かないように、情熱と時間とお金をかけて丹念に育ててきた二人の関係。

時間を置いてゆっくり考えたい。
本当に、できるなら今日の夜行バスででも高知の父のとこへ行きたい気分だ。

強い不安。