25歳の彼

彼の転職先のシェフのブログを遡ってずっと読んでた。

そしたら、2010年の秋頃~2011年3月あたり、彼がシェフのブログを少し更新している時期があった。

当時彼は25歳。
18歳から飲食にいるから7年間キッチン経験はあったようだけど、サービスについてはまだまだなところもあったみたい。

今は料理から接客、仕入れに経理まで全てやれる彼だけど、当時は人と喋るのが苦手だったり、ほうれんそうが上手くできず、携帯をなくした上に体調を崩して音信不通になってシェフに心配かけたりしてたみたい。。

苦手なことも頑張らなくちゃ!と強く思ってたみたいで、色々努力してたんだとブログを読んでわかった。

独立を希望してたり、ソムリエ資格を取ろうとしてたりもしたみたいで。。
結局ブログは半年足らずで辞めますと書いてあったのでその後の彼の動向はわからないけど、ワインに絞りたいから今の会社に転職したのかな…と思う。

今は飲食での独立の話なんてしないし、ソムリエも必要ないと言ってるけど…

彼の軌跡が見られて、嬉しかった。
こんな風に若くて何もできなかった時期もあって、でも諦めずに努力して今があるんだろなぁと。
シェフの人は教育熱心だし、人を理解しようとする心があって、いい人に恵まれてよかったねえと心底思った。

そして、彼がなぜ飲食をやりたいかという理由についての記事もあって。
人生の一瞬一瞬を彩れる、衣食住に関わる事がしたいと。

でもその一番大きな理由は、小さい頃に遭った震災の事があると。

やっぱりなあと、思った。
勝手に心境を分析するのは失礼だけど、彼が人と心の奥底の部分で触れ合うのが苦手なのは、希薄な人間関係ばかりだったからじゃないかと。
震災で街も家も親しかった人までもがなくなって、みんな散り散りになったこと。。

カップルや夫婦って、健康な関係であったとしても「この人がいなくなったら困る」「別れたくない」という感情がどこかにあると思うけど、彼からは私に対してそれを感じられない。
一時は物凄く寂しかったし、今も不満に思うけど、その回路はもうショートしてしまってるんだろうと思う。
「別れたいなら別れてもいい」「何かの理由でいなくなるなら仕方ない」。
その希薄さの底には、やっぱり絶望的なまでの喪失体験があるからだと思った。

最近ふと、彼に「私はあなたのものだよ」と、言いたくなった。恥ずかしくてそんな事は言えないけど、でも、「それくらいに思ってもいいんだよ。居なくならないよ。」と、言ってあげたくなった。

震災の時彼は10歳で。
ヘラヘラして語るけど、どれだけ辛かっただろうと、推測するしかできない。
のちの人生、そうやって大事なものを命賭けて捕まえておく気力を無くしたって仕方ない位に、多分絶望したんだと思う。

だからとにかく、震災の事があったからここまでこれた、という位に、結果を残したいって。
残せるなら、その形は何でもいいんだって。

仕事についてはいつも真面目で、ずっと飲食やワイン関連で頑張ってきた彼。
普段聞けないことを7年前のブログから知る事ができて、少し彼の事が好きになった。。

ヘラヘラしてるけど、傷がないわけがないのに。
本当はもっと聞きたい。
聞いて感情移入したら、彼のことがもっとわかる気がして。
話すのも辛いだろうけど、いつかチャンスがあるなら聞いてみたい。