※重要。昨日のカウンセリング。

自我とか言って 本当はよく意味わかってないんですけどね

でも 私のこころは 分裂しています。(統合失調症ではありません

私は、感性で生きていく道を、大学選びの時に捨てました。
その時も意識のような無意識のような感じだったけど、確かに捨てました。
「捨てた」という感覚だから。

本当は捨てなくても良かったんだ。
でも私は不器用だったから、「捨てる」という選択しかできなかった。

そして心理系の大学に来て、感性の自分を、普段は隠蔽した。
芸術的なものはもちろんずっと好きだったけれど、なくても良かった。
時々、ものすごく辛くなったときには絵を描いた。
それで、共存できていると思っていた。

感性で生きる自分=不安定な自分・ありのままの自分

でもある。

もちろん理性的に生きる自分も不安定にもなるし、ありのままなんだけど…
嘘をついてるわけじゃないんだけど…
そこはうまく言葉にできない。


私は卒業するのがこわかった。
社会に出るのがすごくこわかった。
勿論みんなもこわいだろう。私も同じようにすごくすごく怖かった。

それは、社会に出るということが、感性の自分を完全に「殺す」ことだと
そういう風にしか、思えなかったからだった。
それに昨日の面接で気がついた。

彼と将来を過ごしたい。しあわせな家庭をもしかしたら自分も作れるかもしれないと
思った。でも、しあわせな家庭やいわゆる安定を得るならば、「演じる」という行為を伴わな
ければいけない。

本当はそんなことする必要はない。
ありのままの自分で良い。
でも、ありのままの自分が2つにわかれてしまっていた。
だから、できないと思ったし、怖かった。。


私はこんな時に こんな大事なことに気付いてしまった
もっと早く気付きたかった

一番つらかったのは 一番悩んでたのは
ここだったんじゃないか

私は昔から感性豊かで、ものすごく感じやすい子供だった。
なんでもないことで泣いたり、幼い時から生きる意味だとか 死について
考えては、その大きさに怖くなって、泣いていた。

そういう自分はものすごく生きづらいのだ。

ターニングポイントはあの、大学を選ぶ時…いや、長かった思春期の挫折から
立ち直ったと思えた時だったかもしれない。

あの時の自分を後悔はしていないけど、あまりにつらかったから
きっとあそこで、「分離」という選択肢が無意識に生まれてきたんじゃないかな
そして、大学選びのときに「捨てた」。
このまま行くと、「殺す」事に なるところだった。


大げさですいません
でもおおげさじゃないんだ・・・
私の生き方に とてもとても重要なことなんだ・・・。

昨日のカウンセリングで 感性と理性の自分たちを、「統合」しよう という
結論に達した。

これも多分長くてつらい道のりだろう。
いつできるのかわからない。

7月7日には 就活の面接がある。
「理性」の自分で考えれば、ものすごく魅力的な会社だった。
素敵な業種で、お給料もまあまあで、研修制度が充実していて…

でも
今の自分には無理かもしれない。
何も考えずに逃げてるんじゃないよ。
気付いてしまったから。。。

行こうか 行くまいか 悩んでいる。
すごく、行きたい会社だった。。

でも こんなぐちゃぐちゃの状態では、何も出来ない…


気付いたいま
何か(多分理性の自分)から逃げるように躁になることもできなくて
理性的ないつもの自分に戻ることもできなくて

そのあいだを 自分をなくしたようにふわふわ生きている

こんなのいつまでも続けられないよ

だからね。
入院しようと思います。

それで完璧に戻れるなんて思ってない
でも 今、静かな環境がほしい。


とても今かなしい。
今まで捨ててきた自分がかわいそうで悲しい。
今まで気付いてやれなかったことが悲しい。

でも きっといつか また、幸せになれる、私は。
わかってるから、また向き合おう。

待っていてくれるといった彼に甘えよう。

今日も明日も
なんとかかんとかやり過ごそう
こうしてやってきたじゃない

大丈夫・・・・・・・・・。