わたしを悩ませるのは

とても好きな曲ができた。
うれしくて何度も聴いているんだけど、響きすぎて私には毒だ。

私は私の豊かな感受性によって、文章表現に奥行きを持たせたり、人の心の機微をわりと察知できるのかもしれない。
でも、私を悩ませるのも私の感受性だ。

いまはその音楽に没入して、想像すれば涙が出てくるし、その世界観の中で生涯を送れないことがつらくなってしまっている。
尋常じゃない。そう、尋常じゃないんだよ。

感受性が暴走して、ソワソワして眠れなくなってしまうから。

近頃はだいぶ行動や言動に整合性がとれるようになってきたし、まぁまぁ人並み(以下かも?)に約束も守る。
クールだねとか論理的だねとか、思ってもみなかった評価をされるようになった。

だから私の抱える闇というか、主に生育歴の中で構築されてきた私の考え方の癖や依存癖について語ろうとするとき、言葉が詰まることがある。

たしかにそれは私の抱える問題だけど、今露見してないから。
誰かにヤバめな依存もしてないし、思いつめて迷惑をかけてもいない。(大変に幸福なことだ)

じゃあ何、って言ったときに
一番今の私を振り回しているのは、私の感受性かもしれないと思い至った。

私はこの感受性が愛おしいけど、手に負えない。手に負えないから普段はしまっているけど、ときどき出てきて暴れる。
私は感受性のことを思い出し、切なくて愛おしくなる。どうしてやっていいか
わからなくなる。

画力とかセンスとかそういうのはさておき、生き方として、感受性を尊重するなら、極端に言えばゴッホ的な感じになっちゃうから。

そうしたらもう社長に頼まれた仕事は多分納期守れないし、手首切っちゃうかもしれないし、まともな社会生活は望めない。

手にあまるし、でも一生ふたをするなんてできない。報いてやりたい、愛しい自分の一部なんだ。どうしたものか。

この生き方からシフトチェンジする感覚、人には伝わりづらいかもしれない。そのくらい断絶があるんだ。ガラリと変わるんだよな。