普通の人生に殺される

自分の生き方を掴みとれないままここまできてしまった、と年末に書いた。

そのままその生き方を続けていたら、ついに会社に行けなくなってしまった。


本当に限界が来たと思った。

もうこの場所を出ないといけない。

出よう、出なくちゃ、とかじゃなくて、出なければ生きられないと腹で感じた。


あ、もう限界だなと、とめどなく涙を流しながら痛感した。

ずっと悩んできたことが、ずっと重い石のように体の中にあったことが、今度こそ私の一番守りたい現実を攻撃し始めてきたと。


私は、今の仕事を手放したくない。

自分のよいところを生かして働いていると思うからだ。もちろん待遇もある。

ノマドワークできて、給料も上がって、何年も勤めていたらついにボーナスも出してくれるようになった。先日は退職金共済にも入ってくれた。

なにより社長が人として好きだ。

彼と出会って、一生ついていこうと思って以来、それを後悔したことはない。


これからも今の会社に貢献したいし、会社も私を大事にしてくれているというのがとてもよくわかる。

だから、仕事だけは手放したくない。


そんな中で、ついに私からエネルギーを取り去ろうとする脳の誤作動によって、会社に行けなくなってしまった。


一見、会社が嫌だから行けなくなるのだろうと思える。でもそうではない。

日常生活レベルのエネルギーが極端に低下しているから、会社に行く程度の負荷がこなせなくなったのだ。


私は中学のときに不登校になったけど、あの時も学校でのトラブルを乗り切るエネルギーが家庭で養われていなかったから、行けなかったのだと思う。

健康ならどうってことのない部分でつまづいてしまうということだ。


でも、今回ばかりは本当に困った。

困ったし、同時に、ついに来たか。と思った。

私には何となく、これが鬱の入り口であるように感じる。

まだエネルギーが完全に枯渇していないから、その間に何とかしなくては。と、感じる。。


自分らしい生き方ができていない、どうしよう、と、この場所に来てから約1年半ずっと悩んでいた。

でもこんな風にして、人生を選ばざるを得なくなるのか。


私の身体はとても健康的じゃないか。と、思う。

本当に限界になることを察知して、サインを出している。

世界を灰色に見せて、信じられない力で、会社に行けないほど、布団に身体を押し付けてくる。

自分のことが嫌いだろう、と、突きつけてくる。


これがまやかしだとわかるうちに、何とかしなくてはいけない。


今まで何度も何度も絶望して、その中で生きるための方法を掴み取ってきたように。


自分の生き方をクリエイトするのはとても辛い。人のしていない生き方を、常識はずれだと言われる生き方を、わざわざ選び取るのはエネルギーがいる。


私は結婚して田舎に引っ越して、鬱に片足をつっこんでいる。人によっては、理想の生き方だろう。でも本当に自分には合わなかった。

夫とのコミュニケーションにもずっと悩んできた。人に話しても理解されなかった。


でも必要なのは人に理解されることではなかった。自分で自分の幸せを定義づけて、そこにまっしぐらに進んでいくことだった。


私は機能不全家庭で育ったけれど、長い時間をかけて自分のことを好きになった、と思った。

でも本当はまだ自分のことを自分で100%は認められていないかもしれない。


孤独を極端に恐れる反面、人に依存することも極端に恐れている自分。


それがいま一番認めたくない自分だ。

でもそれは本当は恥ずかしいことではないと頭では思っている。

なぜなら、今私が持っている財産は全てそれを裏返した自分の長所によって得たものだから。


孤独が怖いぶん人見知りしないし、人と仲良くなるのが上手い。依存するのが怖いから、1人の人と距離を詰めることをためらって、より多くの親しい人を作ろうとする。


人間だから短所ももちろんあるけど、私は31年にもわたって、こういう自分と付き合ってきた。


人は簡単にジャッジをするけど、本当は簡単にジャッジしていいほど人間は一面的ではない。私はそれをよく知っている。


自分の乗りこなし方は自分にしかわからないし、与えられたベースがしょぼいわりには、私はかなり健闘していると思う。


先週、実家に帰っていて、母と話した。

そこで、「私はあなたの母であることよりも、この家の娘であることを選んだ」とハッキリ言われた。「私は強い洗脳を受けているから、自由には生きられない」とも。


母に対しては、自分の中で、ひとしきり恨み切ったと思っている。

もちろん、まだわからない。

恨みの第2部があるかもしれない。

でも、それを聞いても、救いようがないほどには、悲しくならなかった。


要は母は、私だけをポイっと投げ捨ててくれたのだ。同じ地獄に落ちないように。

投げ捨てられた先もそれなりに地獄ではあったけど、たしかに母のように強い洗脳は受けてない。

まともな愛情は得られなかったから、大変に苦しい道のりだったけど、自分はそこで自分なりにサバイバルしてきた。


なぜ、こんな長い文章を書いているかというと、これから自分の人生を選び取らざるを得ない自分を鼓舞したいからだ。


本当は、夫と猫と田舎で暮らしても平気なメンタルが欲しかったかもしれない。でもそれは、もはや私ではない。きっと今の仕事もできない。


私が私である以上、この壁は必ず出現したと思う。ずっと感じてはいたんだから。


夫とどうするかは、正直決められない。

好きなところもあるし、満足できないところもある。

でも、とりあえず今は、離れなくてはいけない。もうこれは絶対にだ。将来少しでも仲良くやりたい気持ちがあるなら、離れなくてはいけない。これ以上一緒にいても消耗戦を繰り広げるだけだ。


孤独を恐れることは恥ずかしいことじゃない。誰だってひとりぼっちは怖いはずだ。

私が今乗り越えるべき壁はこれなんだ。

ずっと悩んできたこの悩みに直面すべきなんだ。私は1人がこわい。普通の生き方でない生き方はこわい。